「社長=人ととして立派な人」・・・ではないから困る

小さな子供のころは、親だったり、先生だったり、会社の社長だったり、つまり人や世の中を導いてゆく立場の人は、みんな「立派な人」に違いない、と思い込んでいたけど。
長じるにつれ、だんだんと、先生にも立派な先生とそうでもない先生がいることに気づき、親だって、人間であって神様じゃないから、長所も欠点もあることに気づき、社会人生活も長くなると、会社の社長も、たとえ上場企業の社長であったりしても、得意も不得意もあって万能じゃないし、人間としても優れているところもあれば、そうでないところもあったりする事に気づいてしまった。
本当は当然のことなのかもしれないが、やっぱり、気づくたびに、それなりにガッカリする。
社長は、社長(経営者)である以上は、上手に会社や社員を導いていってくれれば、その人自身の不得意分野は、役員や従業員が補っていけばいい事だと思うけど、根本的に、「人として信用できる」と思われない経営者はとても損で、これは会社としては非常な痛手だと思う。
少しだけ例をあげて、個人的に気になる話をしてみると、意外に些細な事だけど、「たとえ冗談でも、相手を貶める(と相手が感じる可能性がある)ことを言わない」「たとえ1円のものでも(0円のものでも)、相手に何かを貰ったら(して貰ったら)、その行為(好意と言ってもいい)に対して、熱く(厚く)感謝を伝えられない(アツくどころか礼さえ言えない人もいるし、ましてや、クイックレスポンスは更にできない)」社長って、結構多い(役員は、さらに多い)。
人は、こういうことにたいして、「言われた・・・」「無視された・・・」「スルーされた・・・」「軽んじられた・・・」と、結構気にしているものだ。だから、こういう事に神経が生き届かない経営者は、経営者の資格がない・・・と言うつもりは全然ないが、その1つ1つは、重大事につながるほどのものではないけれど、少しずつ、澱のように心の底に溜まっていく性質のものだと思うので、長期的に考えたとき、会社にとっては不幸なことだなぁ、と思う。
特に「たとえ1円のものでも(0円のものでも)、相手に何かを貰ったら(して貰ったら)、その行為(好意)に対して感謝を伝えられない」というトピックだけど、最近しみじみ思うのは、「あの人有能で、かつ、気持ちのいい人だなぁ・・・」と思うような人が、ポジション的に責任のある立場になり、忙しくなっていけばいく程(色々と首が回りきらないのは容易に想像つくが)、ちょっとガッカリするような礼の欠ける行為が、加速がつくように、目立ち始めていくなぁと。そういうことが(別々のところで)いくつもあるなぁ・・・ということ。
「忙しい」って「心を亡くす」って書くんだけど、こういう人たちは、忙しさの余り抜け落ちるのか、何かを切り捨てにかかっているのか、どちらなのか(両方なのかもしれないが)個別にはわからないけれど、長い目で見て、本当にその人にとって損な事だと思う。
ああ、そういえば、日経ビジネスアソシエの何号かの記事で外山滋比古さんが似たようなこと言っていたなぁ。
心を亡くすってことは、人間として欠落するってことだよね。人を導く人間が人として尊敬できる人であって欲しいっていうのは、人情だと思うし、実際とても大事なことのように思う。最近はやりの効率主義も、それはそれで重要だと思うんだけど、礼節を重んじない人を、私は尊敬できない。


【08.6.23.追加】
先日、仕事でとあるベンチャー会社を訪問したときに、社員の方へおみやげを持参したことがあったが、(確か)翌日に、たくさんの社員の方からの「おいしかったコメント」を寄せ集めたメールを受け取り、びっくりするやら感激するやら、あの会社スゴイ!と思った会社がありました。・・・という話を耳にし、メールを実際見せていただきました。
私、その会社さん、日本で一番アツくて礼儀正しい会社だと思いましたよ。ホントすごい。ここまでするのって、なかなか難しいと思うんですが、それをさらっとやるところに、打たれました。是非、ずっと続けて欲しいすばらしい行いですね。社員さんみんなを、そして、社長さんを尊敬します。。。