ふるさとは遠きにありて思うもの

「ふるさとは遠きにありて思うもの」この室生犀星の詩の一節が、最近、ふとしたときに、頭をかすめます。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土*1の乞食*2となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

室生犀星 小景異情ーその二より

室生犀星っていう人は、私生児として生まれて、ずっと経済的に恵まれず、容姿に深い劣等感を抱く、コンプレックスの塊のような人だったそうですが、懐かしく愛する故郷(金沢)に帰ったら、何か悲しいことがあったのでしょうかね。故郷の様相が変わり果てていたのか、それとも、人々から冷たい仕打ちを受けたのか、分かりませんが、もう自分は故郷には帰らないよ、東京に帰ろう、と決心するような感じの詩です。

【訳(少し意訳してます)】
故郷とは、遠くにいて思い出すもの そして悲しくうたう*3もの
もしも落ちぶれて、異郷の地*4で乞食になったとしても、
決して自分が帰るべき場所ではないだろう
都の夕暮れに一人で、故郷を思い出しながら涙ぐむ
その気持ちをもって、遠い都に帰ろう
遠い都に帰ろう


フルで見ると、「ふるさとは遠きにありて思うもの」という一説から想像するものとだいぶ印象が変わり、むしろ、故郷を見切るような感じの内容ですが、なんとなく、震災以来、この詩が頭に浮かぶんです。

悲しくても、ホントはその場にいる事が自分にとって最適ではないかもしれない場所でも、自分が生まれ育ったところは、多くの人にとっては、やっぱり特別なところのような気がします。


「ふるさとは遠きにありて思うもの」


帰るか、帰らないかはいつでも自分の気持ち1つで選ぶことができるふるさとが、ちゃんと遠くにある、ということは、それだけで幸せなんだなと思います。


毎日、気持ちが、右に揺れたり、左に揺れたりしています。
雨が降ったら身構えてしまったり、東京はいますぐどうこうなる訳じゃないと思いながらも、関西や海外に引っ越す友達を少しうらやましく思ってしまったり、川崎のごみのニュースに「ええっ!」と思ってしまったり、汚染物質は移動させないから大丈夫というアナウンスに、「あ、そうだよね・・・」と思ってしまったり。


一見、周りには、表面上誰よりも平静に見えてたりするけど、ホントは不安になってたり、いや、大丈夫と自分に言い聞かせたり、わー、私もどっか行っちゃいたい!と思ったり、いや、会社は辞められないと思ったり、いや・・・それはどうかな・・・仕事辞めたっていいじゃん・・・と思ったり、毎日、ぐちゃぐちゃです。


早く、みんなに少しでも安らかな日々が来ますように。

*1:いど

*2:かたい

*3:歌う/詠う

*4:正確には「地元ではない土地」のほうが正しいかも