薄めて生きていく方法

小学生の頃の私のあだ名は「歴史博士」に「漢字博士」。
私の特徴を何人の子に聞いても、「勉強できて真面目」「えー真面目」「真面目な人」。
それ以外の、「明るい」とか「面白い」とか「楽しい」とか、そんな、一般的な無邪気で子供らしい特徴は、ひとつも、ひとっつも、出てきたことがなかった。


長い間、勉強なんて出来なくてもいい、天真爛漫で、明るくて可愛い人に、なりたかった。
日ごろ意識してるつもりはなくとも、「明るい」とか「面白い」とか「楽しい」とか言われるのが、私の人生の目標の一つだったともいえる。そんな気がしてきた。ここ近年。

正直、「真面目」しか言われないということは、「あんた、オモロないよ」ということであり、友達失格といわれている気がして、長い間、悲しかったんだなと、最近、過去を振り返ってみて、そう思ったよ。


おかげさまで、大学時代以降、徐々に、「チャラチャラしている」とか、「ヘラヘラしている」とか、「バカそう」「悩みないでしょ」とか言われることはあれど*1、一見さんに「真面目そう」「賢そう」と言われることはめったになかった*2

私はある意味、人生の目標の一つを達成したのかな。なんか釈然としない部分もあるけど*3、ま、よしとしよう。


でも、私の「明るい」とか「楽しい」は、いわば、何年もかかって努力して積み上げた偽装みたいなもんなので、装っているうちに、ホントに身になった部分もあるけど、未だ纏っているだけの側面も多々あり、やっぱり、どうもうまく振舞えないことも多いです。今だに。


言い過ぎてしまったり。伝え方がぎこちなかったり。などなど。などなど。



天真爛漫な人や、真性の癒し系が心底うらやましいです。
神様に愛されて生まれてきたんだろうなって思う。
自分と比べて、嫉妬というより、激しい失望感にさいなまれることもあるし、なんだか寂しく悲しくなってしまったりも、何度もしたよ。ときどき、今でもあるよ。



でも、ないものはないし、仕方ない。
自分なりに、30年以上積み上げてきた私が、欠点も残念なほど沢山ある、こんな私が、それでも、自分なりに愛しいし、自分をなぐさめつつ、今日も、ここにいます。


でも、私の真性は根暗なんだよ、多分。ネガティブ志向なんだよ。
だから、元気があるときはいいんだけど、そうじゃないときは、頑張れないなーと。もう、すべてのことを、ホント全てのことをうっちゃって逃げたいと思うことが、もう、何度あることか。

そんなときは、ちょっとした旅にでて、気分を変えることにしている。
出かけたところで、何が変わるわけではないんだけど、「頑張る!」って気合いが入る訳ではないんだけど、いつのまにか、スーッと力が抜けて、どんよりさが薄まってることが多い。


最近、漠然と寂しいなと思っていることは、大人になるってことは、孤独だなあ、ってことで。
どんな仲良かった友達でさえ、時がたち生活環境が変わっていくと、だんだんと話が合わなくなってしまったりする。
昔の友達は少しずつ、電話友達、年賀状友達になって行き、会いたくないわけじゃないけど、そのうちそのうち・・・と思っているうちに時が過ぎていく。
新しく知り合った人たちも、生活に追われて、なかなか、誘いづらかったり、都合が合わなかったり、お互いを知り、語り合う時間も取れず、友達になるチャンスをなかなか掴めないまま、通り過ぎていく人がなんと多いことでしょう。

だから、年を取るってことは、だんだん独りになっていくことなのかなぁ、って、今、なんとなくぼんやりと思ったりする。


でも、ちょっとしたところに出かけて、遠くを見て、買い物したり、景色を見たり、お風呂に浸かったり、そんなこんなをして、夜が訪れるころには、「どんより」はなくならないけど、やっぱり薄まっているのだ。


業務目標だとか、なんとかの力だとか、何かのソリューションで解決することもあるけど、生きる上で抱えていかなければならない、解決の方策が見つからない荷物が辛いとき、頑張って解決するでもない、激しく抱え込んで沈没するでもない、色が濃くなったら薄めるという方法が、生きていくうえであってもいいかなと。
そう私は思い、いつも、そうやって凌いで、今日まで至り、悲しみの日があっても楽しい事も待っていたりして、今日を生きている。

*1:ちなみに、並行して、勉強のほうは見事に残念な感じになりました。

*2:また、最近はそうでもないけど・・・。

*3:逆にね・・・