天使のような子

考えがまとまらないままに、フと思ったことを書く。ひとりごとに近いので、何を言っているか分からない部分があるかもしれないけれど、ご容赦をいただければ。


学生時代、同じクラスの友達に、この世に天使というものが人の形をしているのならそれは彼女みたいな人なんじゃないか?と、心底思うような、本当にイイ子がいた。
いつもいつもニコニコしていて、どんなときでも人の言動を善意に受け取り、人のことを悪く思うことなんて全くない。彼女の手にかかると、どんな人でも善人になってしまうような、そんな子だ。
何かこうして、文字にするとどうも陳腐になってしまってうまく表現できないのだけど、彼女の前にいると、何故か分からないのだけど、他人に対して、意地の悪い気持ちや嫉妬や妬みや妙な優越感などのような負の感情をかけらでも持つことは、とても恥ずかしいことのような気持ちにいつもなってしまうのだ。その前にどんなに憤っていたとしてもだ。
かといって、善であることを強制するような気配は、彼女には一切感じないのだ。
ちょっと腹がたったことがあったとき、その腹立ちを話したその勢いで、話の流れが誰かの悪口になりかけると、彼女が首をかしげながらちょっと困った顔でニコッとしている。それを見ると、私はいつもハッとした気持ちになるのだ。
私は、彼女の事が大好きだ。彼女の言うことすることはなんでもそのまま素直に受け止めることができたし、第一に、彼女といるとなんだかホワホワした暖かい気持ちになった。きっと、彼女の周りにいるみんながそう思っていたんじゃないだろうかと思う。

だけど私は、それが自然な感情か理性からの行為かはともかくも正しいよいことを行うことが出来る、そういう善の部分とは別に、それを表に出してしまうか統制できるかの違いはあっても、人はどうしようもなく負の感情に支配される部分もあって、その2つを持つのが人間だと思っていたから、まるで悪意の概念をもってすらいないように見える彼女と接するのが、辛くなるときも時々あったりした。
いや、辛いというより、自分の負の感情を改めて突きつけられた気がしたとき、恥ずかしいのと情けないのと悲しいのが入り混じった気持ちになって、いたたまれなくなる・・・と言う方が正しいのかもしれない。少なくとも、私は、彼女の前で話す話を、ついつい選んでしまうときがあった。
正しくあろうとしている人からは、往々にして、そうあろうとする意気込みなのか気合いのようなものを断片的に感じたりして、時にはそれに共感できずにちょっとおなか一杯な気持ちにさせられることもあるのだけれど、彼女は実にナチュラルで、そういうイヤな感じも全く受けたことがない。あれは、ホントに不思議なことで、彼女と出会ってから後にも先にも、彼女のような人にはいまだに会ったことがない。
彼女には悩みがないわけでは決してないだろうし、でも、彼女はああいう彼女のままだ。もし、今後世を恨みたくなるような辛いことがあったとしても、きっとあの彼女の美質は失われないだろうと思う。
彼女は学生時代からずっと付き合っていた彼と大学卒業後数年して結婚した。私はその後、仕事上の都合で一時期東京を離れ、それから、なんとなく、学生時代の友達全般と、以前ほど活発に交流しなくなってしまっている。今でも私と交流がある大学の友達と言ったら、5人いるかいないかかな?そんな感じなので、今でもその気になれば彼女の連絡先を知るのは容易だけど、彼女ともそのままで今に至っている。


妬み、嫉妬心、くやしい気持ちのような負の感情がバネになって、向上心に繋がって行くこともあると思うから、私はこれらの負の感情を、全面否定はしない。けれど、「いい人であること」もとてもステキなことだと思うから、なるべく負の感情をもたないようになりたいと願うことも多い。けど、彼女は彼女だからこその持ち味で、私がそうなったら私の持ち味がなくなってしまうような気もする。だけど、フとしたときにいつも、彼女のようになりたいなぁ、と思ったりするのだ。