恥の意識がなくなったら終わり

好みのタイプは?と聞かれて「武士*1っぽい人」とよく答えていた私としては、日本に恥の文化が失われつつあるなーと言うのは寂しいことでもあったりする。
今日、面白いもの*2を見かけたので、紹介するけど、これを書いている方のハンドルネーム?は「摂政関白大アホ大臣」と言う、ガクぅと脱力なお名前の方で・・・

恥の文化から恥知らずの文化へ

(中略)
親が戦中派である世代までは徹底的に「恥の文化」を教え込まれた。曰く「恥ずかしくて世間に顔向けが出来ない」曰く「恥ずかしくて夜逃げしなければならなくなる」曰く「恥をさらしながら生きていくくらいなら死んだ方がましだ」などなど。しかし、「戦争を知らない子供達」などという歌を歌っていた世代以降にはこの様な考えはなくなったらしい。他の人権にくらべて、やたらに突出したプライバシー権によって、犯罪者の人権のみが無限に擁護される。

努力もしないで他人の成功を妬み、自己の権利を無限に主張し、他人の足を踏みつけても何ともなく、抗議などされようものならかえって相手を非難する。非常識な行いを注意されると逆恨みして、平気で殴ったり殺したりする。

戦後生まれの恥知らず野郎とそのガキどもが今日本を内部から崩壊させようとしている。まさに「恥の文化」から「恥知らずの文化」への文化大革命である。


・・・てな感じで、結構辛らつ。私自身も「人に迷惑をかけてはいけません」「人に対して恥ずかしいようなことをしてはいけません」と教えられたクチなので*3、「恥はどんどんかけばいい」と言う表現には違和感があったりする。

そして、日本語って言葉の一つ一つに微妙な意味の違いがあって、その言葉の意味に拘って欲しいなーと思ったりする。これは同時に、いつも自分自身が悩んでいることでもあるのだけど。

昨年、最も心に残った言葉がこれ。恥では死なない。恥ずかしい思いをしたくらいでは死なないし、どうってことない。恥くらいですむなら、どんどん恥をかいた方がいい。
恥では死なない - (旧姓)タケルンバ卿日記


このエントリで言う「恥」は、自分が恥ずかしい思いをする事に限定して言っている「恥」なんだろうけど、日本の恥の文化は*4「羞恥心」に訴えることにより自分自身を自制するということであり*5、「人に迷惑をかけるような事は恥ずかしい事をしない」と言う意識というか道徳規範を大きく含んでいると思う。
欧米人の「罪の文化」に対して、日本人は「恥の文化」と言ったりするし、「恥」という考え方は、日本人の倫理の根幹を示している側面がおおいにあると思う。だから、私個人は、「恥ずかしい」という気持がなくなれば、人間おわってると思う部分もあったりする。

「恥」っていう言葉は、そういう面を含んでいるものだと思ってる。

タケルンバさんの言いたい趣旨自体は分かるんだけどね。


ブログって、書いたら気持ちいい、書くことが気持ちいい点もあるけど、書いた意図なんて、ほんの1/10程度しか伝わってないんじゃないかと思う事が多々ある。書いた内容の一部だけを切り取って、全て見た気になる人、全て見た気になってああだこうだ言ってくる人も、とても多い。だから、いつも、悩む。この文章のこの表現は、この言葉は、これが一番いいんだろうか。やはりこの言葉が、表現の方がすんなりくるのかもしれない・・・と。

なもんで、書くときには、あとちょっとだけ、一呼吸分だけでもいいから、そういうことに思いを致すといいんでないかなぁと思ったりした。失敗しない人間なんている訳ないんだけど、やっぱ、防げるものは防ぐ気遣いがあった方がいい。

菊と刀 (講談社学術文庫)

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武士道 (岩波文庫 青118-1)

武士道 (岩波文庫 青118-1)

*1:と言うか侍

*2:タイトルが一番面白かった

*3:親はギリギリ戦中生まれ

*4:自分の行動を社会や世間という外圧からの一種のプレッシャーによってという面もありますが、

*5:内面的な罪意識を重視する行動様式・倫理観であるという意味も