天皇の苗字と言霊思想について勝手に語る

人力検索はてなで注目していた質問の回答がいつのまにかオープンになっていました。
天皇家は何ていう名字だったんでしょうか? むかしは曽我氏や物部氏みたいな名字があって、戦争に勝って日本の君主(天皇)になったから名字がなくなったと予想しますが、何ていう名字だったんでしょうか? - 人力検索はてな
これ、結局、zu2さんのブクマコメントが一番正解に近いのかなぁ。

id:zu2 天だと思うけど、回答に期待。 / 隋書の「倭王姓阿毎字多利思比孤」ね。 / 倭もあり得るけど天の方を押します。 神代記・紀でも「天のだれそれ」が多いし

ちなみに、私のブクマコメントはコレ。

id:love_chocolate 垂仁天皇時代に武日命が大伴連を称し始めたのが文献で最初に確認できる日本人姓の様/id:zu2さん 阿毎・天(あめ・あま)を名乗っていた説あるみたいですねw/言霊思想により苗字を密かに踏襲しているうちに消えた説もw

もう少し説明する

ブクマコメントは短くて、説明しきれないのだけど、名残惜しかった(?)ので、もう少し、勝手に解説してみようと思います。詳しい人の知識には及ばないけど、私なりに説明しますw

苗字はあったけど消えた説

日本には古くから言霊思想や怨霊思想があります。これが何を意味するか、お分かりになりますでしょうか?

名前を明かすことはリスク

天皇は只一人の存在で、特定しなければならない他の存在は(後の南北朝時代はさておいて)いない唯一無二の存在なので、名前で特定しないとならない必要は特にありません。日頃、天皇は「おおきみ」「大王」「帝」「御門」「お上」「すめらみこと」などの呼び名で呼ばれ、死んで初めて「諡号」が贈られることになります。
古代の日本には、このように、貴人の名前は呼ばない風習がありましたが、それは、「名前を呼ぶことで実名が明らかになること」を恐れたところにあると思われます。

言霊思想

言霊思想とは、アニミズム(人間以外の動物や植物にも霊魂があると考える多神教的原始宗教)の一種で、言葉には霊力がそなわっており「ある言葉をとなえるとその内容が実現する」と考える思想です。言霊思想には、縁起の悪い忌み言葉を使うと、不幸な事態が訪れるという考えも存在します。

卑弥呼の時代以前から、まじない、加持祈祷的なまつりごとが行われた日本では、古代の貴人達は、名前をあきらかにすることで「言霊(ことだま/language spirit)」により呪いなどを受けることを恐れました。貴人の名前と貴人本人自身とは、同一のものなので、みだりに実名をあかすと呪術によって攻撃の対象になり得るからです。
ゆえに、実名そのものがその人自身の分身にあたるという考えに基づき、古代の貴人は、「自身の名前を公にすることによって、名前を特定されることにより呪いをかけられてしまうことを避けた」のです。

名前を特定されないために

日本古来の呪い代表選手のわら人形も、わらに相手の人の名前を貼り付けますよね。名前を特定することが呪いの1つのキーワードになる訳です。
また、仁徳天皇陵などの古墳には、墓碑銘(誰が葬られているのかや死者の経歴や事績などについての文章、墓銘のこと)が無いことは有名で、文字による言葉を残すことで「言霊を封じ込める行為」がないように、墓碑銘を残すことをタブーとしていたようです。

君の名は・・・

古代や中世の日本の女性は、「何とかの娘」とか「何とかの妻」とかいうあいまいな表記がよくあり、歴史に名前がちゃんと残っていないケースが多かったりしますが、古代や中世の日本の女性に名前がなかった訳ではなく、やはり「自身の名前を公にすることによって、名前を特定されることにより呪いをかけられてしまうことを避け」ていたのです。
古代にさかのぼる程、女性は、ごく身内の親族や婚約者などにしか実名を教えません。なので、「名前を教えること」「名前を呼ぶこと」自体が非常に特別な行為であったのです。ですので、いにしえでは、下記の雄略天皇の歌の様に、名前を聞くこと自体がプロポーズ行為になり得ていた訳です。

次の一文は、万葉集第一巻の冒頭にある、雄略天皇の歌である。

  • 天皇の御文歌 籠もよ み籠もよ ふくしもよ みぶくろ持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らせね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそ いませ 我こそは 告らめ 家をも名をも
  • (大意) 天皇の御歌 籠も 良い籠を持ち ふくしも 良いふくしを持って この岡で 菜を摘まれる乙女子よ ご身分は 名も明かされよ この大和は ことごとく 私が 君臨している国だ 私の方こそ 告げよう 身分も名も 

言霊 - アンサイクロペディア

つまり・・・

何か回りくどくなりましたが、私のブクマコメントに書いたように、天皇の苗字は、昔存在した可能性もあるかと思いますが、苗字の存在の有無についての真実は、文献等にそれらしきものが見えても、現在のところは、苗字があったことをはっきり立証する決定打は無い様に思えます。
ですが、その上で、天皇の苗字が仮に昔「存在した」と仮定したときに、存在はしたけれども「言霊思想により苗字を密かに踏襲しているうちに消えた説」も、捨てきれないなと、個人的には思っています。


そんな感じで、こんなエントリ書いてみました。ではではー。

ブクマコメント

id:mahalさん

名前を忌避する文化は本朝独自なものではない訳ですけどね(ヒント:孔子諸葛孔明)。

そうですね。今回長くなると思ってここらへんは触れなかったのですが、古代の中国には「避諱」という言葉があって、貴人の本名を口に出して呼ぶことを避ける思想というべきなのか習慣というべきなのか・・・がありますよね。
古代中国の人たちは、氏と諱(いみな/本名のこと)と字(あざな)を持ちますが、この「諱」は、そもそも普段気軽に口に出してはいけないもので、その代わりに字を普段使いとして使っていた訳です。
ああ、ここにいいことが書いてありましたので、そのまま引用します。

諱という漢字は、日本語では「いむ」と訓ぜられるように、本来は口に出すことがはばかられることを意味する動詞であるが、古代に貴人や死者を本名で呼ぶことを避ける習慣があったことから、人の本名(名)のことを指すようになった。諱に対して普段人を呼ぶときに使う名称のことを、字(あざな)といい、時代が下ると多くの人々が諱と字を持つようになった。
諱 - Wikipedia


ちなみに、ご存じない人がいるかもしれないので、「前述の【諡号】も中国からの輸入ですよ」と一応付け足しておきますね。